手網焙煎 珈琲焙煎舎の出来るまで
Our Story
2011
2011年11月11日に手網焙煎珈琲焙煎舎は東京都府中市美好町に開店しました。
BAISENSYA
Today
マイクロ・ロット[ニカラグアコーヒー農園より]
6年目の2017年1月30日より2月9日までニカラグアの珈琲農園に行く。
Small Batch 手網焙煎と直火式焙煎機
手網焙煎は、手作業でコーヒー豆を焙煎する伝統的な方法です。焙煎士が豆の状態を目と鼻で確認しながら、温度や時間を微調整して焙煎します。これにより、機械焙煎では出せない独特の風味と香りを引き出すことができます。
コラボレーション
『2階の部屋〜オルタナティブ・スペース』は2017年東京都府中市の手網焙煎珈琲焙煎舎の2階に生まれた。 元は物置だった所を実験的思考アーティストが自身の作品を発表をする場として使い始めたのが起源。
アジアのコーヒー農園の魅力について
11周年(コロナ禍)にインドネシア・コピティアム農園とネット中継。コーヒー農園で働く人たちから農地とコーヒーノキの状態を教えてもらう。
手網焙煎珈琲焙煎舎のはじまり
2011年の夏、わたしはそれまで全く思いもしなかったのに突然、「店をやろう」と思い立ち、それまで勤めていた会社を9月に辞め「2011なら11月11日にオープンだ!」と勢いのままに府中市美好町1丁目で珈琲自家焙煎店「手網焙煎珈琲焙煎舎」を始めた。
右も左も分からず、お店の立ち上げを手伝ってくれた人に珈琲のイロハを教わりながらの1年目。独り立ちをしたら全ての事が空回り、そうしたらお客様に「ゆっくりでいい」と言ってもらえた2年目。
多少の余裕が出てきた頃、周りが見えるようになって自分のお店と「他所のお店」が違って見えて、何が正解なのか、このまま続けていいのか分からなくなった時期もあった。そんな時にお客様から掛けてもらった言葉は「自分を信じられないという事はあなたの珈琲を美味しいと思って来ている私たち(お客様)を信じていないという事」だった。その時はハンマーで頭をかち割られたかのような衝撃でした。で、かち割られた中から出て来たニュータイプのワタクシは、見事にヨソを気にせずに自分を貫き、他店ではなく自分と向き合うようになりました。
それからは、憧れだった“農園へ行く”を目標にわたしのお店を続け、オープン6年目に念願のニカラグアの珈琲農園に行ってきました。
あっという間の11年のような気もします。ですが振り返ると毎日が色濃く様々な経験を積み重ねてこられました。
寂しいことに今年10月、ずっとお世話になりっぱなしだった私にとっての府中の父母である、お隣のお肉屋さんが引退され、ご自分の手で55年という長い歴史に幕を閉じられました。わたしのお店がそこまで出来るかどうかはさておき、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
2022 11 飯島里沙(手網焙煎珈琲焙煎舎店主)
手網焙煎 珈琲焙煎舎 歴史
History of Coffee BAISENSYA
2011
開店初年度
当店が入る前は、定食屋さん、お茶屋さん?中華屋さんなどコロコロ変わっていたらしい。お隣に挨拶に行ったら開口一番に『この場所定着しないのよー』と言われた 笑11年続いて良かった(・▽・)・・・10月には諸々教えてくれた人が去り、いよいよ独り立ち。1周年にはお祝いして貰えた(^▽^)
二年目
2012/11~
当店で販売しているプライベートプレス『アフリカ』の編集者下窪氏による『道草カフェ』オープン。表紙になっている切り絵の展示も同時開催。またネットショップ開設の為の宣材写真も撮影。写真と実物が余りにも違う為双子説が浮上した。そしてこの年は何と言ってもオープン当初から可愛がって貰った常連様との永遠のお別れをした。入院すると言ってから帰ってこなかった・・・一緒にお写真撮っとけば良かったな。
三年目
2013/11
今の焙煎舎ではお馴染み黄色い怪獣“ころも”の生みの親、 相馬康平氏と出会ったのがこの頃。 相馬さんの絵に一目惚れしてとんとん拍子で個展を開催。103歳でお亡くなりになった老舗ランブルの関口さんのお誕生日会にもノコノコ着いて行った。『手網してます!』って言ったら『手網焙煎かぁ、80年前にやってたなあ』とお返事が返って来た時の衝撃は忘れない・・・
四年目
2014/11
下窪氏プロデュースの絵本 『カラスのチーズ』著者・しむらまさとさんによる個展『鳥たち』開催。クリスマスにはお隣に負けじと飾り付けを頑張った!周年にはウチでは見たことのない大きなお花が届いて何も無いよりは、と常連様がその場で文字を書いてくれた(^о^)/
五年目
2015/11
ママさん会でコーヒー教室をして欲しいとのご依頼で初の先生をしてみた。お手製のテキストも作ってくれていて私は行くだけだったにも関わらず緊張の余りあんまり上手く話せなかった(-_-) ・・・。8月はずっとただの憧れだったコーヒー農園へ行く事を決意した月。さらに焙煎機を導入したのもこの年。
六年目
2016/11
1月30日から、10日間ニカラグアの旅へ。海外旅行自体初の為、全く何にも想像ができず、なんとなく宇宙ぐらい未知の世界だったけど降り立ったらおんなじ地球だった。お写真たくさんあって選べないので、村井氏に選んで貰ってトイレの前の壁に展示してます。9月には当店2つ隣の角っこの八百屋さんが引退。
七年目
2017
お2階がいよいよ始動。周年祭に併せて下窪氏がプロデュースし、コロンビアのジャーナリスト柴田大輔さんが展示をして下さいました。それを観た現『2階の部屋』管理人の村井氏から依頼があって今の形に。製作場所としても提供したら大きな窓が外されていて美術家のやる事は分からん(¯◇¯;)とめっちゃ焦った。福袋も作りました。忘れてたけどこれいいな。 またやろうかな☆
Nicaragua
2017/1/30~2/9
ニカラグアはコーヒー屋店主としても1人の人間としても非常に大きなターニングポイントになりました。諸々話したい事が多すぎて文字にしたら壁一面を埋め尽くしてしまいそうなのでこの時書いたブログをご覧ください。誤字脱字、また現地でその場のテンションで書いている為読みにくい、そもそも何を言いたいのか分からない等があったらすみません。
八年目
2018/11
常連様が大ファンで当店のドリップバッグをプレゼントしてくれたのがキッカケで女性シンガーソングライター中山ラビさんのライブツアーグッズにコーヒーを使って貰えた。基本的に可愛いものと面白い事が大好きなので沢山のカワセミを並べて写真を撮りたいと言われ二つ返事で了承してしまったけれど沢山にも程がある、、2階の部屋はアート展示をjcomさんに取材して貰えました。
九年目
2019/11
オープン当初べったりテントに貼り付けたペナントがずっと前からヨレヨレになっていて端っこが剥がれたりしていたのだけどこの日突然急に気になり出して後先考えずに剥がした。で、そのまま放置したら見兼ねた村井氏とカワセミ氏がキレイにしてくれた。さらに自分達でペンキを塗ろうなどと甘い考えは一瞬で砕け散り結局職人にお願いした。
十年目
2020/11
BSテレ東の 『日経モーニングプラス』という番組に出演出来た。結構、尺を取ってもらい放送後北海道から沖縄までネットショップでオーダーを貰えた。 テレビすごい。いとこの繋がりで『FM湘南ナパサ』というラジオでも取り上げて貰えました☆ここからは全世界を狂わせた? コロナ突入。内装を都度コロコロ変えて営業した。
1階の壁も展示スペースにしたり、仕切りを作ったり立ち飲みのみにしたり、店内をやめたりもした。コロナはホントに色々考えさせられた。で!! この年はもう1つ大事な出来事が☆10年頑張ったご褒美?に。ずっとずっと憧れだったグラインダー『ditting』をお迎えしました!10周年という事で、当店のアイドル黄色い怪獣”ころも”の記念グッズも作成。
十一年目
2021/11
ミッテン府中9階フードコート内で行われた催事や府中駅のデッキ上で開催されたパンマルシェに出店。お店の方は自分達でフローリングをはり『1階の廊』と名付けビューイングスペースに。お世話になったお隣のお肉屋さんが引退。泣くかなって思ったけどこの時は終始笑ってたな。で、大丈夫かと思ったけどやっぱり最終日にお母さんにつられて泣いてしまった(〃ω〃)長い間お疲れ様でした。