未完|mikan coffee
コーヒーの価値は、どこから生まれるのか
コーヒーを知りたい
コーヒーについて、もう少し知ってみたい。そう思ったとき、私たちはどこへ行けばいいのだろう。
産地、品種、精製、焙煎、抽出。いまはインターネットを開けば、たくさんの情報に触れることができる。専門家の解説だけではない。個人の感想も、評価も、動画もある。世界中のコーヒーについて、知ろうと思えばいくらでも知ることができる。
かつては、ロースターや専門家の側にあった知識が、いまでは誰もが手にできるものになった。
コーヒーを焼いている人より、コーヒーについて詳しい人がいても不思議ではない。
これは、今のコーヒー界にとって小さくない変化だと思う。
では、情報がこれほど豊かになったとき、私たちは何を頼りに、一杯のコーヒーを選ぶのだろう。
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情報は、価値を教えてくれるのか
コーヒーには、たくさんの情報が付いている。
産地。品種。生産者。精製方法。標高。希少性。品質。カッピングスコア。そして価格。
私たちは、それらを手がかりにコーヒーを選んでいる。
けれど、情報を知ったからといって、そのコーヒーを好きになるとは限らない。
世界で高く評価されたコーヒーが、自分の好みに合うとは限らない。高価な豆が、自分にとって大切な一杯になるとも限らない。反対に、何気なく選んだコーヒーに、思いがけず心を動かされることもある。
品質を評価することと、その人にとっての価値を決めることは、同じではない。
その二つのあいだには、まだ言葉になっていない余白がある。
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「味」で売ることの先に
コーヒーを味で売るなら、何をもって、その価値を伝えればいいのだろう。
コンテストで評価される。トロフィーを獲得する。オークションで高値がつく。カッピングスコアを示す。
こうした評価は、品質を伝えるための強い根拠になる。
けれど、それは「あなたにとって価値がある」という証明ではない。
誰かにとっての最高の一杯が、自分にとっても最高とは限らないからだ。
だから、私たちは一度、評価の外へ出てみたいと思った。
まだ名前のついていない感覚のところまで、戻ってみる。
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名前を隠してみる
もし、コーヒーの名前を知らずに飲んだらどうだろう。
産地も品種も分からず、価格さえ知らなかったら、私たちは何を感じるだろう。
「未完|coffee mikan」では、すべての豆を100g/1,000円にそろえ、銘柄を開封するまで明かさない。
価格をそろえることで、価格から少し離れる。
名前を隠すことで、名前から少し離れる。
そして、まず飲んでみる。
おいしいと思うかもしれない。そうでもないと思うかもしれない。うまく言葉にできないかもしれない。
どれも、その人の感覚である。
そこには、誰かがつけた点数とは違う、その人自身の判断が残る。
私たちは、その小さな判断から、コーヒーの価値を考えてみたい。
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コーヒーは、どこで完成するのか
ロースターは、生豆を選び、火を入れ、焙煎する。
けれど、そのコーヒーを飲んだ人が「好き」と感じるか、「苦手」と感じるかまでは、つくり手には決められない。
同じ一杯でも、飲む人によって意味は変わる。
だから「未完」。
コーヒーは、ロースターの手を離れたところで完成するのではなく、飲む人のところでもう一度始まる。
つくり手が完成させられるのは、コーヒーのすべてではない。
最後のところには、飲む人の感覚が残されている。
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コーヒーを学ぶということ
手網焙煎珈琲焙煎舎では、コーヒーについて学ぶワークショップを開催している。
そこで大切にしているのは、知識を一方的に渡すことではない。いくつかのコーヒーを飲み比べ、違いを探し、自分がどう感じたのかについて考える。
コーヒーを学ぶことは、知識を増やすことだけではない。
自分の感覚を知ることでもある。
誰かの評価を覚えるのではなく、自分が感じたことを確かめる。その経験から、自分なりのコーヒーの選び方が少しずつ生まれていく。
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11月、コーヒーを持って街へ出る
2,026年11月には、府中市生涯学習センターのコーヒー講座『座珈琲-豆選びから抽出の基本まで〜まぁ座ってコーヒーを飲みましょう、府中、とととまちのあいだで』で、受講生が市内の自家焙煎店を訪れる。
店に入り、豆を見る。店主に話を聞く。焙煎について尋ねる。おすすめの抽出方法を聞く。そして、自分で豆を選んで買う。
教室に戻ったら、その豆を自分たちで淹れてみる。
店主が語ったことと、自分が感じたことを比べてみる。
重なるところもあれば、違うところもあるだろう。
その違いを知ることも、コーヒーを学ぶことだと考えている。
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消費者から、関係する人へ
コーヒーを買うだけなら、私たちは消費者でいられる。
けれど、店主と話し、豆について尋ね、焙煎を知り、自分で淹れてみると、コーヒーとの距離が変わる。
商品だったものの向こうに、つくり手の仕事や考え方が見えてくる。
私たちは、こうしてコーヒーをめぐる人や場所と関わる人が増えてほしいと思っている。
単にコーヒーを消費するのではなく、コーヒーと関係を持つ人。
そのような人を、ここでは「コーヒー関係人口」と呼んでみたい。
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一つの店から、府中という街へ
府中には、さまざまな自家焙煎店がある。
焙煎も違う。豆も違う。抽出も違う。店の佇まいも、コーヒーに対する考え方も違う。
その違いを、一つにまとめる必要はない。
むしろ、違うからこそ歩いてみる意味がある。
一つの店を訪れ、次の店へ行く。そこで感じた違いを持って、また別の店を訪れる。
そうして街を歩くうちに、個々の店の向こう側に、府中という一つの風景が見えてくる。
違いがあること。それ自体が、街の価値になる。
それが、私たちの考える「府中コーヒータウン」である。
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情報の先にあるもの
これからも、コーヒーの情報は増えていくだろう。
品質を測る方法も、評価する仕組みも、さらに細かくなっていく。知りたいと思えば、世界中の情報に触れることができる。
では、情報がほとんど手に入るようになったとき、コーヒーは何によって選ばれるのだろう。
私は、これからのコーヒーには「共感」という価値が、これまで以上に大きくなるのではないかと思っている。
「この人が焙煎するコーヒーを飲んでみたい」
「この考え方に惹かれる」
「この人たちの仕事を少し応援してみたい」
そんな気持ちは、数字にはできない。
けれど、人が何かを選ぶとき、数字にならないものが最後に残ることがある。
情報ではなく、人との関係。
評価ではなく、共感。
これからのコーヒーは、そこへ向かっていくのではないだろうか。
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売ることから、問いを手渡すことへ
コーヒーを売るなら、その豆について説明すればいい。
産地、品種、品質、価格。伝えるべき情報はたくさんある。
それでも私たちは、もう一つの方法を考えてみたい。
飲んだ人自身に、考えてもらうこと。
「私は、このコーヒーをどう感じたのだろう」
その問いを、コーヒーと一緒に手渡す。
『未完|coffee mikan』は、完成した答えを売るための商品ではない。
答えを少しだけ、飲む人の側に残しておく。
そのための商品である。
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まだ、答えの途中にいる
コーヒーの価値とは、何なのだろう。
品質なのか。希少性なのか。価格なのか。産地なのか。つくり手なのか。それとも、その一杯を飲んだときの記憶や、誰かと過ごした時間なのか。
まだ、答えはない。
だから、考えてみる。
飲んでみる。話してみる。街を歩いてみる。また飲んでみる。
そうしているうちに、自分にとってのコーヒーの価値が、少しずつ見えてくるのかもしれない。
コーヒーの価値は、最初から決められているものではない。
つくり手と飲む人のあいだで、その都度生まれるものなのかもしれない。
だから、未完。
答えのないコーヒーを、問いとともに手渡す。
それが、『未完|coffee mikan』から始めてみたいことです。
むらいじゅん(珈琲焙煎舎2階の部屋企画室)


